楠木正秀の死 2
 
楠木はなおも敵のなかを駆け破り駆け破り荒れ狂っていたが、佐々木の郎党の目加田弾正忠・三井八郎次郎・伊香新右衛門の三騎が切っ先を揃えて打ちかかってきた。楠木はにっこりと笑って、

 「けなげな奴らやなぁ」

と云うが早いか、目加田の真向を打ち割り、返す刀で三井が斬りかかってきたのを打ち返しすぐに右の腹を草摺りごと斬り落す。伊香新右衛門が楠木の左の脇へ組みついてきたのを太刀を投げ捨てて右手で伊香の上帯をつかんで引き上げ、5メートルほど「えい!」と叫んで放り投げると、伊香は血を吐いて起き上がることもできずに死んでしまった。

敵はこの勇猛さを恐れて近づく者もなく、ただ遠くから矢を射かけるばかりであった。楠木は、

 「思うがままに戦をしてのけたったで!もうこれまでや!」

と大声で叫び、

 「楠木正成の玄孫楠木次郎正秀がいまから自害するで、寄って首を取って行け!」

とわめいて、鎧を脱ぎ捨て鎧下を脱いで上半身をあらわにすると腹を十文字にかき切ってうつ伏せに倒れて死んでしまった。哀れ大剛のつわものかな、先祖の遺訓を守り一度も卑怯とのそしりを受けず、惜しむべき者であった、と惜しまぬ人はなかった。

幕府軍は宮をはじめ主立つ者の首を京都に送り、続けて十津川を攻撃しようとしたのだが、南朝方もかねてより準備し、楠木十郎正親・和田新太郎・越智伊予三郎らが猿ころばし・地獄平などという要害の地を塞いで防戦したので幕府軍は通ることができず、無駄に日を過ごしているうちに大雪が降ってきて士卒が難渋したので、畠山をはじめ土岐・佐々木も、長陣になっては不利になるばかりだ、ひとまず退いてまた攻めにくればよいだろう、とみな京都に帰っていったのだった。


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