御歌の徳して雨晴れし事 二
 
しかし、先帝は同じ年の八月の初めの頃より御病気になってしまわれた。前もって死期をお悟りになっておられたのか、八月十五日の夜、義良親王を左大臣近衛経忠公の亭にお移しになって、三種の神器をお譲りになり、これからのことを詳細にご遺言なされて、宝剣と法華経とを左右の手にお握りになって、八月十六日の夜に崩御遊ばされてしまった。付き従ってきた人々は、ただ闇の中に道に迷う気がしたのであった。御姿を死装束に改め奉って、如意輪寺の御堂の後方に埋葬し奉った。葬送の人々が引き取ったあとも、私は悲しみのあまり、御廟の前で泣き明かして、夜が明けるのを待って、髪を下ろして畏れ多くも御陵の近くに草庵を構えて、帝王亡き後もお仕えしていたのです。

その年の長月十日あまりの夜、月がはっきりと見えて、昔のことなどを思い出して、

 今ははや わすれはつべき 古へを 思ひ出よと すめる月哉

と詠んで、少しばかりうとうとすると。御廟の前に百官が整列している。奇妙に思っていると、日野資朝卿が、

「万事お心のままに、準備は整っております」

と問いかけ奉る。

「ここでは旧都に遠すぎて、お望みをかなえるべき御策略も成就できませんので、亀山の仙洞御所に行幸なさってください」

と申し上げるが早いか、御廟の御扉が開いて、よく見ると、崩御間際の御姿で、玉の御輿にお乗りになると、楽士が音楽を演奏し、百官はお供の行列に従っていく。あっと驚いていると、松の間を吹き抜けていく風に乗って音楽がまだ聞こえている間に、五色の雲が御廟より出て北の方へ長々とたなびいていく。これを見て、あらためて涙が止まらなくなった。御亡魂も今はもうここにおられないのかと、ひどく悲しくて呆然としていた。

同じ夜に、旧都の夢窓和尚が、帝が亀山の旧跡に行幸なさって群臣と共に宴を開かれたのを夢に見て、武家と相談して天龍寺を造営したと、後に伝え聞いた。今となっては、と思われて、皆泣くのであった。


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