源中納言の北の方発心の事 一
 
先帝の頃の話ですが、北畠顕家卿が奥州の軍勢を多数率いられて、道中をも制圧されて美濃の国に到達なされた由、上聞に達しましたので、先帝は「やっと期待が持てる」とお思いになられました。しかし、

「顕家卿は阿倍野で戦場の露と消えられてしまいました」

と、刑部丞友成が参内してその際の一部始終を泣く泣く語りましたので、人々は火の消えたようになってしまった心地でした。御父・親房卿はどのようなご心境だったのでしょうか、

 先立てし 心もよしや 中々に 浮世のことを おもひわすれて

顕家卿の御台はその場で倒れて気を失ってしまわれましたので、大騒ぎをして、お顔に水などをおかけしましたら、翌日の夕暮れの頃に少し落ち着いてこられて、

 玉の緒の 絶えも果てなく 繰返し 同じ浮世に 結ぼふるらん

夫の後を追って、と思っておられる気配が明らかに見てとれましたので、人々はその場を立ち去らずに監視していました。御台は思うようにもできず、ついに観心寺という山寺で落飾されてましたが、過去のことを思い出されたのか、

 そむきても 猶忘られぬ 面影は 浮世の外の 物にやあるらん


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